いつから自分は「プロデューサー」でなくなったのか

こんなオタクでごめんなさい。ぱりぱりです。

さっそくですが、標題について。

 

はじめに
最近ことあるごとに、標題を自問自答している。昔はあれだけ意識高く、イベントもそれなりに走り、ライブには足繁く通ったコンテンツに、今はそれほどの熱量を注げていない。どころか、ぶっちゃけモチベがほとんどない。いつから「プロデューサー」であると自負できなくなったのだろう。

もちろん、本物のアイドルをプロデュースなどしているはずもなく、某大手二次元アイドルコンテンツのことなんだけれども。

 

 

心当たりは?

正直に言うと、思い当たる節はいくつかある。けれども、どれもピンとこない。これほど悩むに至らしめた決定打はなんだろうか。それとも、理由はひとつではないのだろうか。思考の整理がてら、考えてみたい。

説①:いわゆる「P名刺」を考えるのが億劫になったとき?

説②:メインコンテンツである音ゲーを「苦」と感じたとき?

説③:一大イベント「総選挙」の存在が許せなくなったとき?

説④:「担当」(≒最推し)アイドルがいるにもかかわらず、当該ユニットをしんどく感じたとき?

説⑤:会場SEで流れていた曲を「ふーん、知らないけどいい曲じゃん」とか思ってたらTrust me(総選挙曲。以前、現地でも聴いたことがあったしちゃんと“発火”もした)だったとき?

ざっくりこんなもんかと思う。


説①について。

「P名刺」、めちゃくちゃ考えるの楽しい。イラストは描けないので、趣味程度の筆文字を取り入れてみたり、曲やアイドルなど何かしら着想したイメージのテーマに沿って考えたり、全く関係ないところから無理やり関連性を紐づけてオマージュしたり。頭は使うし手間も金もかかるけど、この作業はとても楽しかった。LINE画面や別アニメ、式典の招待状に一番搾り。この辺は特にお気に入りかも。メタルアイドルがいるので、メタルフェスのフライヤー作ろう!と思って所属ユニットを洗い出して、ロゴまで自作したのは結構反応も良かったし嬉しかったなあ。時にはネタに走ったりもした(基本的に迷走しかしていないが)。

それが、ある時から名刺作るのめんどくせえなと思うようになって。

なぜかを考えていくと「そもそもなぜ名刺を作り配るのか」にぶちあたって、自分の中ではそれは「同趣味の人たちとの交流ツールとして」という結論に至った。多くの人がそうだと思うけれど。

実際、多くの繋がりを得ることができた。大学の同級生だけどほとんど話したことがなかった人と知り合い、アイマスというコンテンツ抜きにしても遊びに行く仲になれた。たまたま遠征先で宿が一緒だった人と話すきっかけになって、半分身内のような存在になった人もいる(もしかしたら一方的にそう思ってるだけかもしれないけど)。偶然渡した名刺のコンセプトに共通する要素があり、何度か話すうちに一緒にライブ後の打ち上げもやった。多くの人と知り合い、語らい、酒を飲み、笑い合った。時に会場付近で、時に飲み屋で、時に宿泊先の大浴場で。これらは全て「名刺」「名刺交換」といった文化がコンテンツに根付いていなければ、あり得なかったろう。

ともかく、数多くの出会いに触れ、仲良くしていただけるほどの人間関係が構築できたことで、一定の満足を得てしまったのだろうと推察する。だからこそ、わざわざ名刺を作って配り歩き、これ以上知り合いを増やしに行くという行為が億劫になったのではないか。というか、正直名刺を配っているよりも、これまでに知り合った人と会って近況報告や他愛もない話に花を咲かせたい。この想いが強い。

一方、名刺交換という文化は「アイドルの広報活動を行う」点でも非常に大きな役割を果たしている。うちの〇〇が出演します、よろしくお願いします!と言われ、応援するよと返したことは少なくない。また、自分も同じようなことを言った経験がある。自分の主目的ではなかったが、意図してか意図せずか、広報活動を行っているような面はあった。経緯や理由はどうあれ、それを行わなくなったことについては、たしかに「プロデューサー」と言えなくなったと言えなくもない。


説②について。

申し訳ない!音ゲー向いてねえんだ!「嫌なら辞めればいいじゃん」それはそう。辞めたよ。

前職が徒歩通勤で(今もだけど)かつ残業が多い部署にいたこともあり、ゲームを触る時間が限られていたことは、実はあまり関係ないと思っている。というのも、同じ曲をずっと聴き続けることが耐えられない性格であり、かつ完璧主義的な面があるために「1nice」「1miss」が異常に腹立たしく感じてしまうからだ。コンボの切れ目がモチベの切れ目で、フルコンを逃した瞬間にゲームを落とした回数など数えきれない。その点ミリシタの「オートライブ」ってすげえよな。何もしなくてもライブ終わるんだもの。

もちろん、反復練習して上手くなるのは百も承知だが、なら通し稽古ばかりさせないでいただきたい。音楽然り演劇然り、僕が知っている範囲では通し稽古しかしない環境など聞いたことがない。あったらごめん。自分の見識不足。

あとこれは確率論的な話になるけれど、特にデレステ、異常なまでにSSRが出ない。これでもインストールしてはボチボチログインして石を貯め、初期にはそれなりの額課金して爆死してきた。もちろん上には上がいることは言われるまでもなく承知している。ただ、よく考えてみてほしい。自分よりも年単位で遅れて始めた数々の同胞たちに、一瞬で所持総数を抜かれてみ?それでノーダメージな人、メンタルの強さが異常なのでどこのハラスメント企業でも通用すると思うよ。逆恨み?そうだよ。

メインコンテンツに対する意識低迷は、アイドルマスターに関わらず他界のきっかけとしては十分すぎるくらいではないか。しかしながら、これは最近の話ではなく、年単位で極稀にしか触れていないのだから、時系列が合わないようにも思える。


説③について。

総選挙の時期が近づくにつれ、各陣営の動きは活発になることだろう。Twitterでの啓発活動やライブ時の宣伝活動など、目を見張るものが非常に多い。「プロデューサー」の熱意はこれほどに強いものなのかと感動すら覚える。

先日結果発表がされた第10回総選挙でも、その勢いは非常に強く、熱量を持って感じられた。鷺沢さんおめでとうございます。ボイス組の3名も。

さて、そんな総選挙に対して、自分は熱を持って取り組むことができない。「総選挙」という行事に対して、不信感を抱くことしかできなくなったためである。

炎上しかねない発言なので前もって断っておくけれど、あくまで一個人の意見に過ぎず、かつ他のプロデューサーやアイドルたちの頑張りを否定するものではない。イベントそれ自体が許せないだけで、アイドルをどうこうといった話ではないので。例えば直近の結果だと、「なんで鷺沢さんが1位なんだよ!こいつらわかってねえな!」などとは微塵も思っていないし、「圏外なんて雑魚じゃんw」とも思っていないし、ランキングが大きく下がったからアイドルの魅力がなくなった、プロデューサーは無能だとも言っていない。これだけ予防線張ったら大丈夫か?ただ火のないところにも煙は立つ世の中だからなあ。

まず、「ボイス実装」の謳い文句。総選挙上位アイドルが歌う曲を制作します、というもの。これが全員ボイス実装済みだったらどれだけよかったろうか。しかしながら、シンデレラガールズにおいてはボイス未実装アイドルが非常に多くいる(いた)。そうなると、「総選挙で上位に入ればボイス実装され、曲もつく」と思ってしまうことは何らおかしくない。総選挙の結果、数多くのアイドルにボイスが実装され、今やライブでも絶大な盛り上がりを見せてくれていることは今更言うまでもない。

ただ、そうなると、「それは総選挙なのか?」とも思う。それ、曲作りオーディションじゃん。なんならボイス未実装組には、言い方は悪いが「釣り餌」があるわけで、何らフェアな条件ではない。恥ずかしながらこの気持ちを詳細に言語化することができなかったが、運営側と自分の間で確かなズレが生じている。自分の中でこれが総選挙だと認められていない、認めたくない。

また、晴れて「シンデレラガール」になったアイドルや「ボイスが実装された」アイドルの、次の結果が悲惨なことが多い。ボイス実装されるや否や大きく順位を落とすことはまだしも、圏内から姿を消してしまうアイドルもいる。せっかく1位の栄冠を掴んだ矢先に圏外、なんてことも起こりうる。この状況を見て、自分はこう思わざるを得ない。「アイドルって、いつから使い捨てになったんだっけ?」結果だけを見たとき、1位にして、ボイス実装させて、あとはサヨナラ。それがたまらなく悔しくて、許せなくなってしまった。

もちろん、これに関しては担当外の自分よりも、何より担当各位が本当に心苦しく感じていると思う。その気持ちを否定する趣旨のものではない。心から自分の担当アイドルを応援していて、けれども次の結果につながらず悔し涙を流すプロデューサーもいるだろう。次こそはとリベンジに心を燃やすプロデューサーもいるはずだ。だからこそ、各陣営の広報活動は精力的で大規模なのだから。…まあ僕はしんどくなったので、申し訳ないがTwitterの関連タグは全ミュートしてるけど。

なお、ボイス云々については第9回以降は「ボイスアイドルオーディション」なる企画を同時進行で執り行っており、僕が歯痒く思う使い捨て問題は一定の解決を得ている。もしかしたら、この状況が続けば、自分の中の反総選挙な姿勢も融和するかもしれない。

一方、総選挙とボイスオーディションを同時開催するに当たり、「票交換」なる文化が生まれている。これが自分には到底理解しがたい代物である。ごめん、これ何?挙げ句の果てには票交換詐欺などもまかり通っているようだ。もはや笑うしかない。

愚痴っぽくなり大変心苦しいが、総選挙は我々ユーザーの「プロデューサー」の面が際立つ最大行事のひとつと考える。これに対して関わる気を持てないのなら、捉え方によっては自分は「プロデューサー」と名乗るべきでないのかもしれない。

(※なお、本発言は特定のユーザーやアイドル等を批判するものではありません。お気を悪くされましたら、お詫びいたします。申し訳ございませんでした。)


説④について。

これも本当に許してほしい。自分も大変心苦しい。

仲の良いオタクには話したことがあるかもしれないが、担当アイドルが所属するとあるユニットが、たまらなくしんどい。ユニットなので当然ながら他のアイドルも携わっているが、その子たちが嫌いかというと、実は全くそうではない。ライブの前説で話し始めた時も、急に「オマエら、待たせたなッ!」の声が流れた時も、それはもういたく感動したものだ。はっきり言おう。めっちゃ好き。ぶっちゃけ前者に関しては一時期担当になるかさえ悩んだほどである。ライブに備えて、有志企画のユニット法被も買わせていただいた。非常に素晴らしいイラストで、今も大事にとっている。ともかく、メンバーに関しては自分の担当アイドルが最高の仲間を持って、嬉しく思っている。

曲。刺さるほどではないが、それなりにって感じ。好きなジャンルとは少し外れているので、可もなく不可もなくではある。しかしながら、これがまたライブでの盛り上がりは一級品である。めっちゃくちゃカッコイイ。あるライブでは、センターステージを堂々と歩く、ただそれだけのことなのに異常なくらい泣いた。それほどまでに完成度は高く、感情移入がしやすいパフォーマンスを魅せてくれる。ありがとう。

それでも、しんどいものはしんどい。ライブ前後の名刺交換で「〇〇担当なんですね!ユニット、すごかったですよね!」みたいなことを言われるたびに、引きつったような笑みで「ソウデスネ」の音を無理やり絞り出している。ちなみに、すごくないとは思っていない。すごいけど。そうだけど。

言ってしまえば、運営の推し方がゴリ押し過ぎて気に食わない。自分も例に漏れず大層めんどくさいオタクなので、干されるのはそれはそれでヒリつくと思うけど、それはそれとしてもあまりに目に余る。オタク、こういうのが好きでしょ?出したよ?みたいな下心が見えてしまうというか。ただ幸いなことに、シリーズ内に数多くあるユニットのなかでも、一際目にする機会が多い。合同フェスに出演させてもらったり、合同アプリの初期実装メンバーにいたり、同社の別ゲームコラボに参加したり。非常に恵まれていると思う。いや待て、恵まれすぎでは?そこまでする?とも思ってしまっている。故にしんどい。

また、思い込みかもしれないが、それに伴って「〇〇(ユニット)の〇〇(アイドル名)」の紐付けが一本化されがちな気がしている。あくまで経験ベースだけど、初対面の人と話をするときにそのユニット名以外で括られたことがほぼない。全くないわけではないけど。また、逆に言うとそのユニットがそれだけ強いもので、そのおかげで存在が知れ渡るのはある種喜ぶべきことなのだけど。

まあ、比較的マイナー(最近はそうでもないか)なユニットを推していたので、僻みもあるんだろうな。結局そこかいな話ではある。ごめん。

ユニットどうこうはきっかけに過ぎず、要は「心からコンテンツを楽しむことができなくなった」ことが原因か。具体的な発言は控えるしそういうのは言わないことにしているけど、このアイドル苦手とか、一部の影響でこのアイドルの担当のイメージあまり良くないなとか、どうしても長く歴史のある・かつ人数が非常に多いコンテンツである以上は避けられない事象も発生している。


説⑤について。

標題はふざけたけど、要約すると最近の曲についていけなくなった。

自分は、基本的にソシャゲはプレイしない。いつからか忘れてしまったが、説②に挙げたように、ゲームに手を出さなくなった。同じく説④に挙げたように、コンテンツ全体を純粋に楽しむことができなくなってしまった。

そのような身では、コンテンツに触れる最も大きな機会が「ライブ」である。わざわざゲームをしないから。ライブでやる曲にそのときの新曲が多い傾向にある中、その曲についていくことができないことは極めて致命的である。知らない曲との出会いのきっかけと言えば聞こえはいいが、そんなものはあっても数曲(2~3曲程度)でよい。多すぎても、知らない曲が多すぎて印象に残らない。余談だが、年始の某ライブでは半数近くが聴き慣れない曲・聴いたことがない曲だった。そのような状況でライブを楽しみきれるかと言われると、申し訳ないが自分にはできないのであった。

とはいえ、それでもしばらくは曲だけは追っていた。気になった曲はCDを買ったり、友人にデータをもらったり、ゲームを活用したりで曲を漁っていた。そのおかげで、ゲームを触っていなくともある程度は追えていて、ライブでも知らない曲は非常に少なかった。具体的に挙げるならば、2019年5月のSideM 4thは一部新曲等を除いてほぼ全てわかったように記憶しているし、同時期に行われたミリオン6th地方公演では、知らない曲は自分がミリオンを知る以前に発表されていた一部ソロ曲やAS組の楽曲程度だったように思う。一方、2019年8月のシャニマスサマパでは、ユニット曲2周目を全く追えておらず、辛うじて担当ユニットのみ直前に予習したくらいだった。

CD全部買え、アニメ等全部見ろ、ゲーム全部やれ(曲を回せ&シナリオを読め)、ちゃんとコンテンツに向き合え。いろんな反論が来ることだろう。しかしながら、誠に申し訳ないが金もなければ時間も惜しく、何より今はそこまで全てを追い切るだけの力や意欲がない。世のプロデューサー各位はコンテンツの隅から隅まで当然のように網羅している方も多いことと存じ上げるが、はっきり言ってそれは何ら当然のことではなく、とてつもなく途方もなく、偉大なものと認識している。や、マジですごいよ。

 

 

総括

「プロデューサー」には、多くの定義がある。今回は主に2つ取り上げて、きっかけや時期を整理したい。ひとつは3次元的な、「そこに実在するかのようにアイドルやコンテンツの広報に精を出すプロデューサー」。もうひとつは2次元的な、「コンテンツのいちユーザーとしてのプロデューサー」。


前者については、当初よりあまり当てはまっていなかったように思う。大したプロモーション活動も行っていないし、同担オフ会などにも参加した経験がない。説③にも挙げたように、一大イベントである総選挙には全く関わる気を持っていない。ひとついうならば、せいぜい名刺を作って遊んでいたくらい。

あくまでもそれすらプロデューサー活動と言い張るのであれば、名刺を作ることが面倒になった瞬間から自分は「プロデューサー」たりえる要素を喪失している。具体的な時期を言うならば、2019年11月。そう、シンデレラ7th名古屋公演である。これまでのライブでは、毎回新しい名刺を制作してきた。それが7thの頃には、それまでの在庫があるからといって新調することを怠った。一度それをしてしまうと、プツンと糸が切れたように、新しく作りなおすことのモチベーションを失ってしまった。また、説①にて記載のとおり、ある程度交流に満足したこと等も原因の一つではある。

ちなみに、逆に言うと2019年9月までは「プロデューサー」だった。ミリオン6thSSAのことだった。ご存知White Vowsである。それはもう、メチャクチャに気合を入れた名刺を作った。いつも筆文字は一発書きにしていたけれど、このときばかりは久しぶりに筆の練習をして、ひたすら書き続けた。余談だが、当該楽曲フル尺は現地の一度しか聴いていない。もちろんCDは買ったしスマホにも取り込んでいる。意図的に聴いていない。いや、聴けない。この話を友人にすると、超高確率で「重いわ」と言われる。やっぱり?

脱線した気もするが、3次元的なプロデューサーでなくなったのは2019年11月のよう。もちろん、社会情勢など関わる余地もない。


後者については、毎回のイベランほど精力的ではなかったけれど、気が向いたらイベントを走っていた。やはりというか、好きなアイドルや思い入れがある曲は走る傾向が強かった。あくまでエンジョイ勢として、無理をしない程度に楽しめる範囲でやっていたように思う。

説⑤に記載のとおり、2019年8月前後には曲を追うことができなくなり始めており、従って「ユーザーとしてのプロデューサー」でさえなくなり始めたのではないかと思っている。「なくなった」ではないのは、2020年2月まではライブに通っており、非常に満足して帰路についていたためである。以降は、社会情勢の影響でライブが飛んでしまったこともあり、復帰しづらくもなってしまった。そのせいで、配信すら視聴しなかった公演がどれだけあるだろうか。しかしながら、それを悔やんでいないこともまた事実ではある。


後者の意味ではギリギリ「プロデューサー」かもしれない。アプリをアンインストールするなど、完全に辞めてしまったわけではないためだ。相変わらず極稀にしかログインしないし、余程のことがない限り曲は回さない。回すのは無料10連くらいのモンだよ。僕は。それでも消していないだけ、しがみついているだけ、フェードアウト寸前だが、一応、辞めてはいない。

そう思わせるに至ったのも、近いうちに書こうと思っているミリオン7th Reburnのおかげなわけだけど。きっとライブ前にこのテーマに触れていたならば、きっと結論は違ったろう。

 

 

結論

Q. いつから自分は「プロデューサー」ではなくなったのか。

A. 別にそうでなくなったわけではないんじゃない?

 

は?


ほんの数秒間、この記事を書いた時間を返してくれと思った。たぶん、読んでくれた人も同じ感想だと思う。面目ない。

とはいえ、3次元的な意味では完全に死んでしまっている。2次元的な意味で、ギリギリ首の皮一枚つながっている程度にすぎない。それさえ、ライブに参加することでしか保つことができないものである。それでも胸を張って「プロデューサー」と言えるかは、正直微妙なところがある。物は言いようなのだ。

読んでくれた方によっては、これじゃあ「プロデューサー」じゃねえよと言われるかもしれない。それはきっと間違っていない。けれども自分の中では、不格好ながら上記を結論としたい。

 

 

最後に

非常に見苦しく稚拙な文章で、かつオチも非常に雑なものとなってしまい、お詫び申し上げたい。時間返せと言われれば謝罪くらいならするので、どうかその寛大な御心にて容赦願いたい。

炎上しないといいなあ。それは何より自分の本意ではないので。まあ、人には恵まれていると思っているので、そんな偏屈で人の揚げ足を取るような人は相互にいないと思うけれど。

また、何度も言うように、特定のアイドルプロデューサー層を非難する意図は全くない。記憶している限りでは、あのアイドルくそだよなんてことは、本文中か否かを問わず、口にした覚えはないし、これからもないように思う。

アイドルマスター」というコンテンツにおいても、またコンテンツ外においても、引き続き仲良くしていただける方は仲良くしていただきたいと思っている。

 


お疲れ様でした。読んでくれて本当にありがとう。申し訳ない。